修心武道会 大東社武術継承伝

修心武道会について

修心武道会は、大東社武術を継承されていらした津村 恵治宗師範が、夢想神伝居合林崎重信流詰合と、武田西郷流合氣柔之術を二本柱に、櫻田北辰一刀流他、大東社継承武術を修行するために立ち上げられた会です。
古流武術のみでなく、全日本剣道連盟 居合道部会に杉並支部として所属しており、連盟の制定居合も力を入れて稽古しています。
当会は、津村宗師範から命を受けて開設された「東京支部」から始まり、津村宗師範引退に伴い、正伝に継承した修心武道会として活動しております。 
このホームページも津村宗師範の監修、全面協力にて作成した東京支部のものに、補足を加えたものです。

尚、師範允許を詐称している者や、元々は、津村宗師範の統括される会の者による同好会がありますが、当会との関係はございません。


古武術修行の7つのメリット

① 健康

当会にて研鑽する各流儀は、合理的な姿勢から生じる力や、術理を活かした身体操法から生じる力を磨きます。また、姿勢と氣を養う事も重要視しています。この様な身体運動は強健法として大変、優れており、日頃の運動不足を解消させて、健康増進に役立ちます。

② 美容

手足の指から、眼球まで動かす事で、体の均整が取れるため、美しい身体になります。また呼吸法、気功法に通じる動作は、自律神経を調整し、代謝を良くさせ、美容効果を高めます。ダイエットを目的とされる場合は、特に呼吸法を多く行う事で、痩せやすい身体になります。容姿以外にも、言葉づかいや日常の所作、振る舞いが丁寧になり、自然と品格が高まる事も美しさの1つです。

③ 精神

礼に始まり、礼に終わる武道には、そもそも精神力を養う力があります。特に大切なのは、自分に自信が持てる様になる事です。技術の成長には努力が必要であり、その努力が自信を築いて行きます。更に、武道精神に基づいた対人関係の対応力が身に付き、自己の成長に大きく役立ちます。

④ 頭脳

形を行う際、視界が解き放たれるので、眼精疲労も取れやすく、意識と氣が調い、稽古が終わると脳内がスッキリ致します。稽古中は、武術における非日常の世界なので、日頃のストレスからも解放され、柔軟な思考力を取り戻しやすくなります。

⑤ 能力

真の目的は、自己に内在している能力を引き出す事と言っても過言ではありません。古(いにしえ)の武術の力は、あらゆる感性を引き出す起因となります。

⑥ 護身

言われ無き暴力から、身を護れる可能性が高くなります。また強健法としても優れているので、病気や怪我からも、身を護る護身術と言えます。

⑦ 価値

人工知能とSNSの普及により、益々、便利な世の中になりました。人間そのものに焦点を当てた古武術は、人工知能の介入しにくい分野です。古武術の修行は、自己投資に繋がり、多くの価値を生む可能性を持っています。
青少年期から始めれば、体づくりは勿論、身体操作の発見と、柔軟な発想を培う土壌を養い、中高年の方にあっては、趣味として大きな価値を与えてくれます。


大東社継承武術とは

幕末から明治の中頃に、武術を研究する会として作られた「大東社」と言う結社がありました。
そこには、日本国の行く末を憂う多くの武士達が集まり、居合、詰合、剣術、杖術、柔術など、多岐にわたる武術が研鑽されていました。
大東社の初代党首を、津村宗師範の曽祖父の方が務めておられました。その後を、祖父の方が引き継がれ、時代が変わり、大東社にて研鑽されていた武術は、祖父の方から津村宗師範のお父上へ。お父上から津村宗師範へ継承されました。

大東社武術と称する時、1つの流儀を指して言うのではなく、居合、詰合、剣術、杖術、柔術それぞれ円満に、且つ、各流儀が1つとなるべく口伝の稽古法、また、修心を開く為の氣の訓練法なども含めて大東社武術と称します。
例えば、居合、詰合だけを稽古していても大東社武術伝とは言えません。
この大東社武術は、津村宗師範から斎藤のみが、系譜と教授過程に違う事なく、流儀円満に継承致しました。


大東社継承と津村恵治宗師範

◆ 津村宗師範の曾祖父

武田 範之(定政、覚市)師は、諸々の功績により松前家より武田の氏を贈られ武田姓を名のられました。
大東社の初代党首であり、蝦夷地より樺太に入り、当時、敵国軍団を樺太より退却させました。これらの体験から武術の効用を悟り、同士と共にその修練を怠る事がありませんでした。

◆ 津村宗師範の祖父

西郷 四郎(津村定九郎)師は、家伝の合氣之術、揚心流、体捨流、霞流、竹内流の他、武田範之師の下に参加した天狗党の方々、水戸東武館等、旧幕藩体制下の剣客、武術家の厳しい指導を受けられました。
特に礼式小笠原弓馬術に礼法、心法を求められ、修心の道を開かれました。また大陸武術の研究も進んで行われ、師の礼を接した武田(洪)忠一師より合気の秘術を伝授されました。

※ 九州における西郷流と武田流は西郷 四郎師の系統に属するものだそうです。
尚、志田 四郎(別人の西郷四郎)氏は西郷 四郎師と親交が深く、車夫として津村宗師範当家(長崎県諫早)に同住されていました。

◆ 津村宗師範の父上

津村 定雄(博)師は、幼少より西郷四郎師をはじめ、その門下の方々に厳しく指導を受けられました。また、桜田 桜麿呂師より特別の指導を受けられました。
定雄師が浅草等に滞在中、徳 三宝師の指示により、武田 惣角門に参加して修行された事もありました。

◆ 津村 恵治宗師範

長崎県諫早市ご出身の津村宗師範は、幼少の頃から父上に武術の薫陶を受けて、大東社武術を継承されました。
夢想神伝流居合を諫早市在住の時は寺井 知高師に。上京されてからは、寺井師のご紹介で、大村 唯次師に師事されました。
大村師の道場「唯心館」では若くして師範代としてご指導されておりました。大村師の地方指導へは、常に随行される程、高弟としてご活躍されました。
また、山村 義孝宗家の武田流合気武道はじめ多くの武道に参加され、総合武道としての研究に努めて来られました。
大村師がお亡くなりになって後、修心武道会を立ち上げられ、流儀の普及と人材育成に努められました。
全日本剣道連盟 居合道のご指導も力を注がれ、令和元年に、全日本剣道連盟から剣道有功賞を授与されました。
令和4年に体調不良のため、斎藤へ継承し、武道界を引退されました。

詳しくは 代表者の継承に至るまで をご覧下さい。

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流儀解説

稽古方法は、形稽古に主眼を置き、基本的に対打試合は行いません。また、形を通じて礼儀作法と正しい姿勢を身につける事も重視しています。
各流儀に共通して、津村宗師範が常々ご指導された「重く」「鋭く」「柔らかく」に主眼をおき、氣の力を養い、心身を鍛練すると共に「修心」の研鑽に努めます。

◎ 夢想神伝居合林崎重信流詰合

居合道の奥義とされるものです。
仕方と相方が相対して詰合い、抜き打ちに切り合い勝負を決する形仕合であり、大東社武術修練の一環として修行されました。
津村宗師範の曾祖父、祖父の下にて、旧土佐藩士である山川 幸雅師、細川 義昌師等を中心に修行され伝承されたものです。
津村 定雄師、寺井 知高師、大村 唯次師から、津村宗師範へ伝わった夢想神伝流居合から学び、津村 定雄師から伝授された夢想神伝居合林崎重信流詰合を研鑽致します。
津村宗師範はこの系譜をとても大切にされておりました。この系譜継承以外の者で師範の者はおりません。
夢想神伝流の師筋の違う師範代の者や、習い損なった者による同好会がありますが、系譜正伝にて正しく研鑽できる当流儀は当会のみです。
詰合は入会早々のご指導は致しかねます。修業練度が深くなった方にご指導致します。

◎ 櫻田北辰一刀流

櫻田 櫻麻呂師、西郷 四郎師より津村 定雄師へ。そして津村宗師範へ伝えられた北辰一刀流で、大東社武術修練の一環として修行されました。
刀を鞘に納めた状態から技が始まる居合、詰合と異なり、刀を抜いて構え合った状態から始まる剣術です。
木刀と籠手を用いて、相対稽古で錬磨します。
この流儀は、入会早々のご指導は致しかねます。居合道で基礎を築き、修行練度が深くなった方にご指導致します。

◎ 武田西郷流合氣柔之術

武田西郷流合氣柔之術は、当身、投技、骨法、活法からなる津村宗師範に継承された、家伝の合氣柔之術で、大東社武術修練の一環として修行されました。
夢想神伝居合林崎重信流詰合と深く関係する術理があり、当会のニ本柱となる流儀です。なので上達の過程で刀法や、その他の武器も学習する必要があります。

◎ 拳法体術

代表の斎藤が修行して来た大東社武術とは別の拳法や体術です。身体操法の原理は違いません。津村宗師範の許しとご協力を得て指導しております。特に、武田西郷流合氣柔之術における当身などが理解しやすくなります。格闘技として分かりやすい拳法と、易経や道教に関わる気功法の拳法です。

◎ 各種武器術

日本刀以外の武器を研鑽します。
入会早々のご指導は致しかねます。流儀の武術と、技の進行と練度に応じてご指導致します。

◎ 全日本剣道連盟 制定居合

全日本剣道連盟における制定居合を研鑽致します。昇段審査を受ける事で、段位も取得できます。大会や講習会などへも、積極的に参加しております。


代表者の修心武道会 継承に至るまで

昭和59年 学生剣道部時代に、顧問の菅原 東先生の同志でいらした津村宗師範の稽古場へ出稽古に行き、居合道と剣道の指導を受ける。
菅原先生には、学ぶ姿勢、礼節、下積みの大切さと在り方を厳しく指導して頂く。
平成5年 正式に修心武道会に入会。門人となる。
菅原先生の七回忌法要で、斎藤の隣の席に津村宗師範が座られる。菅原先生からは、津村宗師範にご教授を戴き、居合道を続けて行くように言われていたので、その場で入門をお願いする。
平成17年 武田西郷流合氣柔之術の師範允許を戴く。
平成29年 津村宗師範が諸事情により、継承者のいない状況下で育成を見切られ「(教授を)年内で辞めるから」と宣言される。
津村宗師範の武術が失伝することを憂い、ご奉公をさせて頂くことを申し出て、何度も伏してご教授を懇願する。津村宗師範にご教授を懇願した者は、斎藤だけである。結果、稽古が続行する。
平成30年 ある方から斎藤へ武道指導の依頼があり、津村宗師範にご相談した所、喜ばれ、支部教室発足の命を受ける。それに伴い、夢想神伝居合林崎重信流詰合の師範允許を戴く。
大東社武術の習得の為、事業への悪影響も覚悟で、津村宗師範宅の近所に引っ越し、公私に渡っての車の運転手となり修行に励む。車内は座学の場となる。
以後、引退なさるまで、津村宗師範の後輩達への指導の在り方を通して、各流儀の指導の仕方を始め、替技、口伝、極意、裏芸、大東社の歴史等を詳細にご教授戴く。
津村宗師範の地方での演武会や講習会も常に随行し、整体師として健康管理も携わり、交通費、食費などもご奉公させて戴き、弟子として誠を尽くさせて戴く。
令和元年
(平成31年)
支部教室発足の命に応え、東京都港区に「修心武道会 東京支部」を発足。命名もして戴く。
発足に至るまで稽古場会場の問題、会則や月謝、指導方針等の詳細に至るまで、ご相談に乗って頂く。
これを機に、津村宗師範ご自身が修行時代に戴いていた、武田流合気武道の免許皆伝の允許と巻物を、多くの後輩の前で譲り受ける。武田西郷流合氣柔之術の允許を持っている者の中での格差をつけられる。
令和2年 コロナ(COVID-19)蔓延となり、後輩達の稽古は休みとなる中、斎藤のみ、津村宗師範のご自宅道場にて、淡々とご教授して戴く。
ホームページ作成のために、津村宗師範ご自身から写真の提供など、全面協力して下さる。歴史の所は、特に慎重にご指導下さる。
継承の証となる師弟子の写真は、わざわざ正装して臨んで下さる。この様な写真は斎藤のみである。
令和3年 津村宗師範門人で初めて、次世代へ、色帯や昇級段位、允許を出す許可を許される。
津村宗師範が責任者となっていた各稽古場を引継ぐ。神宝館道場の道場主の方へは「後継者」として紹介し、引き継ぎをして戴く。
津村宗師範より呼ばれてご自宅に伺う。その際、奥様へ「斎藤君は居合も合氣も、みんなやっていて、俺の後を継いでくれる人だから」とご紹介して戴く。
令和4年 毎週、後輩達も参加していた稽古日を中止され、斎藤への個人教授の時間へ変更される。特に、大東社武術における呼吸法を、深くご教授して戴く。
「俺が出来なくなったら、アンタにやってもらわなきゃ」と度々、言われていた折り、先代の肖像、津村宗師範ご自身がまとめられた口伝書や、研究されてこられた書類、資料などを斎藤に引継がれ、正式に修心武道会を継承する。この12日後、体調を崩され引退なさる。体調を崩される前日までご教授して戴く。

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教室案内

常設教室 ◎ 麻布教室 ・飯倉いきいきプラザ
◎ 東久留米教室 ・東京ドームスポーツセンター
・東久留米 神宝館道場
不定期教室 ◎ 杉並教室 ・荻窪体育館
・ゆうゆう高円寺東館
・ゆうゆう高円寺南館
・ゆうゆう和田館
代表の斎藤は2023年度、杉並区教育委員会の定める「生涯学習教育指導者」に認定されています。
臨時教室 ・ 所沢市民武道館

会内の年間行事

◎ 拝賀の儀(年始)
◎ 昇級段位(春と秋)
◎ 合宿(夏)
◎ 特訓稽古(臨時)
◎ 演武会(秋)
◎ 納会(年末)

※ この他、剣道連盟 居合道部会における大会、講習会や、舞踊団へのゲスト演武などがあります。
※ お月謝や時間、ご用意戴く物など、お気軽にお問い合わせ下さいませ。

支部長 斎藤と津村師範1
支部長 斎藤と津村師範2
支部長 斎藤と津村師範3
正伝 修心武道会(インスタグラム)はこちら

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